木炭のブログ

理学療法士です。趣味はロードバイク。最近トレイルランニングを始めました。ペットにハリネズミ飼ってます。

相手の反応に一喜一憂しない生き方(アドラー心理学の考え方を基に)

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みなさん、こんにちは。

木炭です。

 

みなさんは周りの人の反応に

一喜一憂して疲れていませんか?

 

以前の私はとにかく周りの反応が

気になり、言えたいことが言えず、

やりたくないことをやってきました。

 

そのせいで精神的に疲れてしまい、

半年間仕事を休んだことも

ありました。

 

ここ最近の話ですが、

「嫌われる勇気」という

アドラー心理学関連の

本を読み、考え方がガラッと

変わることで気持ちが楽に

なりました。

 

今日は、アドラー心理学の本を

読んで変わった私の考えを

みなさんにお伝えし、精神的に

疲れている方々が少しでも楽に

なれば幸いです。

 

 

周りの反応が過度に気になっていた以前の私

以前の私は、過度に周りの

反応が気になっていました。

 

相手の表情や口調が少しでも

変わったりすると、

「何かマズいことをしてしまった!」

「相手を怒らせてしまった!」

と感じ、それからしばらくは

「あの態度が良くなかったのでは?」

「あの話し方がダメだったのかな?」

など悶々と考え込んでしまい、

他のことは手につかず、酷い時は

夜も眠れなかった程でした。

 

そこで私がとった対応策は、

「とにかく丁寧に接する」

というものでした。

 

市販されている礼儀・作法の

実用書を何冊も読みあさりました。

 

結果として、「ここまでやってる

のだから大丈夫。」とごまかす

ことで、少しは気持ちが楽に

なりました。

 

しかしそれは短期的なもので、

そう長続きはしませんでした。

 

やはり「偽りの自分」というの

でしょうか、あくまで演じている

だけなのですごく疲れました。

 

それに丁寧なのは良いことですが、

誰に対してもそう接していたため、

相手との関係性も希薄なもので

しかありませんでした。

 

汚れを上から塗りつぶすような

応急処置的な私の対応策は

時間とともに剥がれていき、

すぐに限界を迎えました。

 

そして、半年間の休職期間などを

経て今に至ります。

 

アドラー心理学の本に学んだこと

つい最近の話ですが、たまたま

職場にあった「嫌われる勇気」

というアドラー心理学の本を

読みました。

 

そこに書いてある内容は

驚かされるものばかり

でしたが、本日はその中の

一部をご紹介します。

 

まず「世の中は、あなたの

主観である」ということです。

 

例えば、気温が20℃の日があったと

して、その日を暑いと感じる人も

いれば肌寒いと感じる人もいます。

 

雨の日でも、鬱陶しいと感じる人も

いれば風情があると感じる人も

います。

 

このように、世の中はあなたの

主観でできている(作りあげている)

という考えです。

 

そしてその考えを基にすると、

「世の中は理不尽だ」とか

「この世は生きづらい」とか

感じている人は、他でもない

自分自身が世の中をそのように

作りあげているということに

なります。

 

ここで注意してもらいたいことは、

あなた自身が世の中を悲観的に

見ていたとしても、それが

「間違い」だとか「悪い」とかいう

訳ではないということです。

 

人はなにかと物事に対して

「善か悪か」「正しいか間違いか」を

決めようとします。

 

有名な話でコップに半分入った水が

多いと感じるか少ないと感じるか

というものがあります。

 

多いか少ないかは主観によるものであり、

そこに「正しい」とか「間違っている」と

いった概念は存在しません。

 

しかし人というものは、どうにも

白黒はっきりしたいようで、

そのために、より多くの人が「正しい」

といった方があたかも正しいと錯覚

するような、いわゆる「多数決」という

ルールを決めました。

 

繰り返しますが、多くの人が正しいと

言ったとしてもそれが本当に正しい

とは限りません。

 

水が多いか少ないかは、

あなたが決めることなのです。

 

話が逸れましたが、

世の中を「楽観的」に見るか、

「悲観的」に見るかはあなた

次第であり、それに正しいも

間違いもありません。

 

しかし、自分が見ている

悲観的な世の中を「変えたい!」

と思うのであれば、変えることも

可能なのです。

 

アドラー心理学で私が実践している考え方

数あるアドラー心理学の考え方の

中でも、私が今一番意識して

実践しているのが「課題の分離」です。

 

アドラー心理学では課題に対して

その課題が「誰の課題か?」を

考えます。

 

そして「誰の課題か?」という観点から

「自分の課題」と「相手(他者)の課題」

に分類します。

 

分類が終わったら後は実にシンプルで

「相手の課題には介入しない」、

ただそれだけです。

 

ここで「課題の分離」を

具体例を交えて説明します。

 

あなたは友人から遊びに

誘われました。

 

しかしあなたは、他に

やりたいことがあったので

その誘いを断りました。

 

すると友人は、

「なら、いい!」と

少し語気を荒げて

そう答えました。

 

ここで「課題の分離」を

してみましょう。

 

友人の誘いを、受けるのか・

断るのかは「あなたの課題」

です。

 

対してあなたが出した答えに

相手がどう反応するか、

どう行動するかは

「相手(友人)の課題」

となります。

 

友人が語気を荒げたことに

対して、「断り方が悪かったかも」、

「誘いを受けた方が良かったかも」

などと悩む必要はありません。

 

友人が怒ろうと無視しようと

それは友人が決め、実行する

ことです。

 

そこにあなたが入り込む余地は

ありません。

 

もし友人の反応が気になり

「やっぱり行く」と答えるのは

相手に合わせた生き方です。

 

それにより、その場は

相手も機嫌をなおして

笑顔になり、あなたも

安心するかもしれません。

 

しかし、やりたくもない

ことを相手に合わせてやる

ことはかなりのストレス

となり、あなたの精神を

削ります。

 

あなたが考え方を変えない

限りは、それは今後もずっと

続くでしょう。

 

第一、あなたが誘いを断った

ことで怒ったり、無視をする

ような人のことを本当に

友人と呼べるのでしょうか?

 

怒ったり、無視をしたりする

理由は、「自分の思い通りに

ならなかった」とか、「せっかく

私が誘ってあげたのに」と自分の

方が立場が上と考えているから

でしょう。

 

それはもはや友人ではありません。

 

友人とは何の損得勘定もなく

付き合うことのできる人、

「信頼関係」で構築されている

人のことを言います。

jitensha-bike-harinezumi.hatenablog.com

 

社会生活を送る上では、

時には自分の意向に沿わない

ことにも合わせないといけない

場面は確かにあります。

 

私の場合は自分の精神に影響が

ないことは対立を避けるために

相手に意見などを合わせることが

あります。

※例:「犬と猫どっちが好き?」と聞かれた

時に相手に合わせる。(これで対立すること

滅多にないでしょうが…)

 

しかし、自分の精神に影響が出る

ことに対しては、対立することを

覚悟で自分の意見を述べるように

しています。

※例:休日に社員で遊びに行こうと

誘われた時に断る。

 

以上のことは職場での対応で、

プライベートに関しては

精神に影響がないことでも

自分の意見を述べるように

しています。

 

もしそれで離れていく人は、

自分とは合わなかったと

考えています。

※もちろん「離れていく」ことは

「相手の課題」であるので、相手の

自由ですし、私がどうこう考えたり

行動したりするものではありません。

 

アドラー心理学の本を読み、

このような考え方をするように

なってからはストレスもかなり

減りました。

 

もちろん考え方を変えたからと

いって、すぐに気持ちが切り替わる

ことはありません。

 

はじめの方はつらく感じること

でしょう。

 

しかし、はじめはつらいかも

しれないですが、考え方を変えないで

これから生きていく方が何倍もつらい

と思います。

 

時間はかかるかもしれませんが、

一度この考え方を参考に

過ごされてみてはいかが

でしょうか。

 

それでは、本日はこのへんで。

ではでは(^^)/

 

 

 

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