木炭のブログ

理学療法士です。趣味はロードバイク。最近トレイルランニングを始めました。ペットにハリネズミ飼ってます。

「悪(悪人)」ってなんだ?

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突然であるが、先日「悪とは何か」、について考える機会があった。

 

それは、外回りの仕事の最中、信号待ちをしている時のことだった。

横断歩道を渡っている初老の男性

その前を通り過ぎる自転車の女性

 

初老の男性は、自分の前を通り過ぎる女性に対し、丁寧にもその場で静止し、

深々とおじぎをして挨拶していたのだ。それも満面の笑みで。

 

自転車の女性も男性の前を通り過ぎながら、軽い会釈で挨拶を返す。

その表情から、二人は知り合いだということが伺えた。

 

この男性の表情や丁寧な挨拶から、「あ、この人は善い人だな。」と思った。

初対面にも関わらず、私はかなりの好印象を受けた。

 

しかし、上の状況から違和感を感じた人もいるのではないだろうか?

 

そう。

横断歩道を横断中に、目の前を自転車が通り過ぎるということは、

どちらかが、「信号無視」をしているということだ。

 

この場合は、初老の男性が信号無視をしていたのだ。

その交差点は、交通量が多い訳でもなく、特別見通しが悪い訳でもない。

 

だが、赤信号の横断歩道のど真ん中で静止するのは、いかがなものか?

 

「たかが信号無視で大げさな。」と思う人もいるかもしれないが、

ふと、「悪とは何か」気になったので、

本日は私の考えを記述していきたいと思う。

 

 

「悪」の意味

いつものごとく、辞書で「悪」を引いてみた。

すると、以下のように載っていた。

  1. 道徳や法律などにてらして、悪いこと
  2. 好ましくない、劣っている

(※明鏡国語辞典より引用)

 

う~ん…

結局、「悪いこと」になるようだ。

ちょっと、すっきりしない。

 

 

「善」の意味

ということで、対義語の「善」の意味を調べてみた☟

  • よいこと。道義にかなっていること。

(※明鏡国語辞典より引用)

 

ほうほう。

ということは、「悪」とは

「道義にかなっていないこと」、という意味になる。

 

道義の意味☟

  • 人としてふみ行うべき正しい道

(※明鏡国語辞典より引用)

 

余計分からん…

「人としてふみ行うべき」って、漠然としすぎだろ。

 

なので、私なりの解釈で「悪」とは何か考えていくことにする。

 

 

初老男性の行動は「善」か「悪」か?

冒頭の初老男性の行動を見てみる。

私は以下のように考える☟

  • 挨拶   ➡ よいこと 「善」
  • 信号無視 ➡ 悪いこと 「悪」

 

「挨拶」と「信号無視」を別々に考えれば、

これで解決である。

 

しかし、もう一歩踏み込んで、

「人」としてはどうか考えてみたい。

つまり、「悪人」か「善人」かである。

 

 

初老男性は「悪人」か「善人」か?

この男性の行動において、

「悪」と「善」を数値化できれば、

足し算・引き算で、この男性は「悪人」か「善人」かを

判断できるのだろうが、そんな単純な話ではない。

 

 

「悪人」と判断する人の主張の例

「信号無視をするなんて許せない!法律に違反している!

 どれだけ愛想が良くても、この人は「悪人」だ!」

 

「善人」と判断する人の主張の例

「別に信号無視ぐらい…交通量もほとんどないし、見通しもいい。

 それよりも、今の時代丁寧に挨拶できるなんて、素晴らしい人だ。

 この人は「善人」に違いない。」

 

おそらく、このように意見が分かれるのではないか。

つまり、この男性が「悪人」か「善人」かは、

判断する人の価値観に大きく左右されることになる

 

初老男性は「悪人」か「善人」か、についての私の考え

したがって、これから述べる考え方は、

私の価値観に元づいたものになることを、予め断っておく。

 

まず、「信号無視」であるが、

この行動自体は紛れもなく「悪」である。

しかし、今回のケースの場合、特定の誰かに迷惑を掛けた様子はなかった。

 

次に、「挨拶」であるが、

この行動は言うまでもなく「善」である。

挨拶をされて、不愉快になる人はまずいないであろう。

「よいこと」であり、「道義」にもかなっており、

辞書で引いた意味とも相違ない。

 

結果として、気分を害した人はおらず(私が見た限りではだが)、

挨拶された人は、大なり小なり良い気分になったことと思う。

つまり、誰かを幸せ(豊かな気持ち)にしたのだ。

 

よって、私はこの初老男性は、「善人」だと思う

 

※誰かに迷惑を掛けなければ、法律を破っていい(信号無視をしていい)と

 いうことでは決してない。ルールは守るべきだ。

 

 

私の「悪(悪人)」の定義

私の「悪(悪人)」の定義は以下のようになった。

 

「掛けなくていい迷惑を他人に掛け、自分の利益向上を図ろうとする人」

 

まとめ

人は互いに支え合って生きており、

決して自分ひとりでは生きることはできない。

生きるうえでは、必ず他人に迷惑を掛ける。

それは決して悪いことではない。

他人に迷惑を掛けた分、今度は自分が誰かを助けてあげれば良い。

 

しかし、世の中には掛けなくてもいい迷惑を

必要以上にかける人がいる。

それも、自分が優位に立ったり、得をするためにだ。

「行列への割り込み」などが良い例だ。

 

私は、単に法律を破ったりする人だけでなく、

このような人たちも、「悪人」と思う。

 

繰り返しになるが、だからと言って法律を破っていいことにはならないし、

法律を破っていないからといって何をしてもいい、ということではない

※SAOのキリトさんが、似たようなことを言っていたと思う(#^.^#)

 

「相手を思いやる気持ち」があれば、

自然と「善人」に近づけると私は思う。

 

氷菓折木奉太郎のモットーにならって、

「迷惑を掛けなくていいことなら、掛けない。掛けなければいけないことなら最小に」

 

これを自分のモットーにします(笑)

 

 

(※他にこんな記事も書いています)

jitensha-bike-harinezumi.hatenablog.com

 

 

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