木炭のブログ

理学療法士です。趣味はロードバイク。最近トレイルランニングを始めました。ペットにハリネズミ飼ってます。

車の運転でイライラする理由とその解決法(アドラー心理学の考え方を基に)

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みなさん、こんにちは。

木炭です。

 

最近のニュースを見ていると

煽り運転が多いですよね。

 

みなさんも煽り運転とまでは

いかずとも、運転中にイライラ

することがあるのではないでしょうか?

 

しかし、イライラしたり煽り運転

すると事故を起こす確率がグンと

高くなります。

 

そして事故を起こしてしまった時、

必ず後悔することになります。

 

イライラ(怒り)という一時の

感情で行動しても、良いことは

ありません。

 

そこで本日は、

  • 車の運転でイライラする理由
  • イライラしないための考え方

についてにアドラー心理学の考え方を

基にお話していきたいと思います。

 

 

アドラー心理学の考え方

 

アドラー心理学を基に、

「車の運転でイライラする理由」を

理解するためには、次の2つの

考え方を知っておく必要があります。

  1. 「優越性の追求」
  2. 「善」の意味

それぞれについて説明していきます。

 

「優越性の追求」

 「優越性の追求」とは、

  • 向上したいと願うこと
  • 理想の状態を追求すること

というニュアンスで、

誰もが持っている欲求であり、

この欲求があるからこそ、

人は成長することができます。

 

ところが間違った「優越性の追求」

では、「優越性の追求」という欲求を

満たすのに努力などの正当な手段を用いず、

他人と比較することで安易に欲求を

満たそうとします。

 

そのような手段で欲求を満たそうと

する人は、決まって自分よりも

劣っている(勝手に自分よりも

劣っていると決め付けているだけ

ですが)人をターゲットにします。

 

そして自分よりも劣っている人と

自分自身を比較し、優越感に浸る

(偽りの優越性を満たす)のです。

 

ここで具体例を交えて説明します。

 

ある男性が、「カッコよくなりたい」

と思っています。

 

正しい「優越性の追求」では、

おしゃれを学んだり、筋トレをしたり、

文学書を読んだりとカッコよくなるための

努力をします。

 

ところが間違った「優越性の追求」では、

  • あいつは俺より身長が低い
  • 俺より太っている
  • 俺より頭が悪い

と他人と比較してあたかも

自分の方が優れているという

錯覚で偽りの優越性を満たします。

 

そもそも「カッコいい」とは何でしょうか?

  • おしゃれである
  • 勉強ができる
  • 身長が高い 

こと=カッコいい、なのでしょうか?

 

それは人によって違う、つまり主観に

よります。

 

なので、そもそも比較するものが違うので

比較する意味は全くありません。

 

まとめると、「優越性の追求」とは、

  • 向上(成長)したいという欲求
  • 誰もが持っているもの
  • 他人と比較して欲求を満たすのは間違い

となります。

 

「善」の意味

「善」の意味を調べると、

  1. よいこと
  2. 道義にかなっていること

とあります。

 

しかし、アドラー心理学での

「善」の意味は少し違います。

 

ギリシャ語での「善」の意味は、

「(自分の)ためになる」という

意味でここに道徳的な意味は

含まれていません。

 

そしてアドラー心理学では、

この意味で「善」を使用しています。

 

アドラー心理学における「善」の

考え方を具体例を交えて説明します。

 

コンビニで傘を盗んだ人がいた

とします。

 

傘を盗む行為は、

道徳的には「悪」です。

 

しかし、盗んだ当人にとっては

雨に濡れなくて済むという

自分にとって「ためになる」行為

なので「善」となります。

 

傘を盗まれた人は、盗んだ人のことを

「悪」とし、結果的に自分のことを

「善」とします。

 

傘を盗んだ人も先ほどの理由から

自分のことを「善」としています。

 

もしこのふたりが対立しても

お互いが自身のことを「善」、

つまり「正しい」と考えているため

分かりあうことは困難ですし、

分かりあうにはかなりの時間と

労力が必要となることでしょう。

 

まとめると、

  • 「善」とは「(自分の)ためになる」という意味
  • そこに道義的な意味合いはない
  • 悪いことでも本人にとっては「善」である

となります。

 

 車の運転でイライラする理由

まずイライラする場面ですが、

これは人によって違うと

思います。

 

ここでは例として、

「車を運転していて左折しようとした

あなたが、歩行者用信号は赤にも関わらず

渡ってきた人に対してイライラした。」

という場面を想定して考えていきます。

 

ここであなたがイライラする理由は、

先ほど説明した、

  • 一般的な「善」の考え方
  • 間違った「優越性の追求」

があるからです。

 

まず、「信号無視」は法律的には

アウトなので一般的な「善」の

考え方では「悪」になります。

 

歩行者が「悪」なので、結果的に

自分の行為は「善」となります。

 

すると、間違った「優越性の追求」

により、自分は相手よりも優れて

いる(正しい)と思ってしまいます。

 

そして「自分は相手よりも

優れている(正しい)」ということを

相手に分からせるために

ラクションを鳴らしたり、

過剰な接近をしたりという行動を

起こします。

 

それらの行動を起こすために

怒りという感情を作り出している

アドラー心理学では考えます。

※私は「怒り」をアルコールや麻薬

 のようなものと考えています。

 「怒り」により脳のリミッターが

 外れ、普段言えないことやできない

 ことをやってしまう、といった

 解釈です。

 

実際に行動を起こすに至るかどうかは

その人によりますが、いずれにせよ

怒りという感情を作り出しており、

それがイライラする理由です。

 

イライラしないための考え方

では、どのように考えれば

イライラしなくて済むのでしょうか?

 

先ほどの「イライラする理由」を

解決すれば良いので、

  の意味を理解する

  • 正しい「優越性の追求」を

  実施する

を実践するようにします。

 

アドラー心理学における「善」の意味を理解する

まず、歩行者はなぜ

信号無視をしたのでしょう?

1.赤信号は渡ってはいけないという

   ルールを知らなかった。

2.信号を見ていなかった。

3.赤信号だが車が来ていないと

   思ったので渡った。

4.車よりも歩行者優先なので渡った

5.自分は特別で、何事においても

   優先されるべきだから渡った。

などの理由が考えられます。

 

1.はかなり確率が低いですが、

ゼロではありません。

 

3.は周りを見ておらず、

あなたが運転する車に

気付いていなかった

ケースです。

 

1~3の理由であれば、

本人に悪気はなさそう

なので、事実を伝えれば

良さそうです。

 

しかし、問題は4.と5.の

場合です。

 

4.の場合は相手が交通ルールを

勘違いしているだけの可能性も

ありますので、事実を伝える

だけで良い場合もあります。

 

しかし、「自分は間違っていない!」と

頑なに言い張る「4」の人や

「5」の人は、事実を伝えても

無駄なケースがほとんどです。

 

なぜならば、本人にとって

その行動は「善」であり、

何なら車を運転している

あなたこそが「悪」と

認識しているからです。

 

そこに法律をはじめとする

ルールや道徳心などは

一切関係ありません。

 

自分のためになるかどうか

だけが判断基準になっています。

 

したがって、どんなに相手が

悪いことをしていたとしても、

相手はそれを「善(正しい)」と

思っている、ということを

頭に置いておいてください。

 

正しい「優越性の追求」を実施する

 正しい「優越性の追求」とは、

  • 向上(成長)したいという欲求
  • 他人と比較して満たすものではない

というものでした。

 

それを踏まえた上で

考えてみてください。

 

先ほどの信号無視をした歩行者

に対して、怒りの感情を作り出し、

さらにはクラクションを鳴らしたり、

過剰に接近することで、成長できる

と思いますか?

 

私はそうは思いません。

ラクションを鳴らしたり、

過剰に接近することで得られるもの

が何かあるでしょうか。

 

なにをもって「成長した」と感じる、

つまり「優越性の追求」という欲求を

満たせるのかは人によって違います。

 

他人と比較せず、自分が成長できる

と思う行動をとる(正しい優越性の追求

を実施する)ことが何よりも大切です。

 

イライラしないための考え方(まとめ)

私は、アドラー心理学の本を読んで

人はみな自分の「善」に従って行動

していることを知りました。

 

人は自分の「善」に従って行動

しているので他人から注意されたり、

諭されたりすると、例えその指摘が

正しくとも反発してしまうものです。

 

であれば、私が自分の「優越性の追求」

を満たすためにできることは、

相手が赤の他人であれば「関わらない

ようにする」ことです。

 

関わらないことで、怒りの感情を

作り出すこともなく、争うことも

なくなるので、私としては「成長

できた」と感じることができます。

 

相手が職場の同僚や友人、家族であれば

さすがに関わらない訳にはいかないので、

「事実を伝える」ことだけをします。

 

あくまで「事実を伝える」だけで、

無理に相手の考えや行動を変えようと

したりはしません。

 

事実を伝えたことによる相手の

考えや行動を知ることができれば、

「次からはこう伝えよう」とか

「もうこの人に事実を伝えるのは

止めよう」などの対策を練ることが

できるので、私としては「成長できた」

と感じることができます。

 

そうすることで、不思議と

イライラすることは減り、

やがてはイライラすることも

なくなるでしょう。

 

さいごに

いかがでしたでしょうか?

 

車の運転では、どうしても

イライラしてしまいがちです。

 

それは自分の行動(運転)が

「善」であり、それに沿わない

ものが「悪」という考え方に

なってしまっているからです。

 

しかし、自分の行動(運転)が

「善」であるのと同様に、

相手の行動(運転)もまた「善」

なのです。

※例えそれが交通違反であったり、

マナー違反であってもです。

 

イライラしてしまい、

事故を起こしてしまった場合、

それは「自分が成長するために

必要なことだった」と思うことが

できるでしょうか?

 

「自分が成長できる行動とは

なにか?」を常に意識して

生きていれば、自ずと怒りの

感情を作り出す(イライラする)

意味のなさが分かってくると思います。

 

それでは本日はこのへんで。

ではでは(^^)/

 

  

 

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